インド大使館と靖国神社、と予定変更

  • 夕方郵便が届き、「残念ながら、独身寮には空きがありません」ときた。これから自分で部屋を探さなくてはいけない。これから中国・インドへ行こうと思っていたのに、これは若干予定が狂いそう。


そんなことも知らず
朝、ぎりぎりの時間に起きて九段下へ
九段下は、日本武道館、インド大使館、白百合学園(!)、靖国神社などなど

朝起きの寝癖のまま九段坂を上りインド大使館へ入ると、既にたくさんの人でごった換えしていた。整理番号をみれば200人以上。毎日こんな調子だとすると、いったい幾らの日本人がインドへ旅行に行っているのだろう? ヴィザは面倒ながらも、当日発行してくれる。時間がだいぶあったのですぐ近くの靖国神社へ入ってみた。

先の大戦の戦犯とかでなにかと物議を醸す靖国神社。いままで中国人を含めた外国の人とこれについて、意見を聞いたり、求められたりしてきた。そういう時、ことに批判的なものにたいしては、日本(軍と書こうとしたがやめた)が当事者となった戦争中の殺戮他侵略行為を認めるつつも、靖国は戦没慰霊所であり、それでしかないと思っているところがあった。非を責められると、それを認めつつも「そこまでは無いだろう…」と反発するのと似ている。


さて神社は月曜平日の午後ということもあり人はまばらだった。日本庭園や能の舞台などがあってお年寄りが何人か散歩していたりする。ただ敢えて言えば、広大な敷地ながらも、ずべてとても「軽い」(なにか人工的な表面的な)印象を受けた。自然に「出来た」場所というよりは、人により「造らされた」場所である。ただただまっすぐのびる参道、グレーの石道、コンクリート石柱より成る鳥居、電気で灯される燈篭などはどれも昔より「ここに在る」ではなく人により「ここに置かれた」感じがよく表れている。写真で見た台湾神社も同様の印象。周りと調和しない浮いた感じをうけた。

遊就館(併設博物館):博物館の展示を周った。昔の甲冑等は面白かった。ただ大部分の展示は明治以降の戦史。戦争反省は形として貫かれているが、端々から戦争に向かわなければならなかった必然性、日本軍の規律ある行動が強調されている。特に敗戦していなければ戦没者は戦犯とはならなかった、というメッセージも印象に残る。展示は自己そして過去を正当化するものが多いと感じた。これでは他国と変わらない。二度の大戦を経、恒久平和を謳う憲法を持っていてもこれである。


王宏恩 「寂莫的飛鼠 jimo de feishu 」 〜さびしい ムササビ〜
台湾布濃(bunong)族の歌手。すっごい良いので聴かせたい