広島 原爆ドームと平和記念館

原爆ドーム

広島…も雨。


旅行のハイライトの一つ、広島市と平和記念館。
一度は訪れなくては思っていてもなかなか来れず。今回来れて良かった。


Visited the Hiroshima Peace Memorial today. The dome, but more so, the memorial and the museum was very moving. I hope this does not sound like an overbaring sermon, a message used one too many a time. However, it was horrific to see the destruction and cruelty that we humans are capable of. And it also knocks you to realize that governments even today continue to seek weapons capable of such destruction. I hope many more, and you personally, will have the opportunity to visit Hiroshima and the memorial someday.


とても誠実な展示内容:無理に事を売っていなく、感情を誘おうとしていない(異論はあろうが)のでより訴えるものがあった。冷静に伝える展示ほど深く響く。


広島市の歴史から、戦況の分析にいたるまで。そしてまた核兵器開発に至った経緯の説明から始まり。広島がなぜターゲットと成ったかとまず淡々と説明。当時交わされていた米国政府メモや戦中日本の物品が展示されていた。たとえば食料の配給票(当時から砂糖、味噌、しょうゆは必需)や米軍がばら撒いていたプロパガンダリーフレット(日本は米国市場なしには生きて行けないぞ!と経済的観点から説くのが興味深かった。思想/主義/精神的立場を持ってして戦争を売っていた日本とはほぼ正反対、戦争を市場獲得とみるその冷静さが逆に怖い)のが興味深かった。


広島市長が、核実験の度に実験実施国へ送る抗議文も公開されていた。しかし、大きな壁を埋め尽くすほど列なる議文の数は、その無力さを物語っているようでもあった。2002年2月にはインド、そしてパキスタン両国へ送った抗議文もあった。そして先月2月には、米国そして英国により行われた核実験への文も。


被害をあらわす展示は、凄惨だった。TNT1万6千発に相当するといわれる広島核爆弾投下。写真そして展示の中には目をそらしたくなるようなものがいくつもあった。隣に見ていた人は「むご過ぎる…」と涙目でつぶやいていた。 記帳ノートには識者、政治家が名を列ねる。ソ連共産党書記長ゴルバチョフ米国大統領ジミー・カーターやインド副大統領(名誉職)などなど。しかし、現役の施政者はほとんど皆無(無論唯一の例外は日本総理大臣)であった。世界の実力者には、一線を引いてから訪れるより現役の時に来て見ていって欲しい。記帳本には自分を含めて、「平和」、「惨劇を二度と…」、「哀悼の意」、といった言葉が並ぶなか、音楽家Leonard Bernsteinが"Enough words, not enough action"(言葉はもう十分、行動は未だ不十分)と書いていたのが印象的だった。